世界が愛する抹茶の価値は、
粉になった瞬間に生まれるのではない。
霧立つ茶源郷の土の上で、すでに完成している。
Wazuka: A living tea landscape behind Uji tea.
「宇治茶」という名の、見えない土台
宇治茶という名を知らない人は、日本にはほとんどいない。だが、その茶がどこで育っているのかを知っている人は、そう多くない。
実は、宇治茶とは単一の市の名前ではありません。京都・奈良・滋賀・三重の四府県で生産された茶葉を、京都府内の業者が「宇治地域に由来する製法」で仕上げた緑茶のブランドです。
その中で、実際の茶葉生産を根底で支えているのが、京都府の南端にある小さな町——和束町です。
数字が語る、ひとつの町の重さ
令和7年度の京都府の資料に、こんな数字があります。
| 京都府全体に占める和束町の割合 | |
|---|---|
| 荒茶の生産量 | 44.8% |
| 抹茶の原料「てん茶」 | 49.0% |
| 茶園面積 | 37.2% |
あなたが知っている宇治茶の、およそ半分はこの町から来ている。抹茶に至っては、その原料の半分近くが和束産です。
和束町は、美しい風景だけの町ではありません。抹茶原料の全国トップクラスの生産力を誇る、現役の茶産地です。
霧という、自然の遮光
なぜ和束がてん茶の産地になったのか。その答えは、この土地の地形にあります。
和束川が谷を流れ、両側を豊かな森林が囲む。水はけのよい急斜面、冷凉な空気、昼夜の大きな寒暖差。この条件が揃うところに、濃い川霧が頻発する。
その霧が、茶葉をやさしく包み込む。日光を遮る。
ここから先が、この土地の興味深いところです。茶葉の旨み成分テアニンは、日光を浴びると渋みのもとのカテキンへ変化します。だから光を遮れば、旨みが葉の中に残る。
自然がやっていたことを、人間が模倣した。それが覆下園(おおいしたえん)という技術です。
抹茶の製法は、どこかで発明されて和束に持ち込まれたのではありません。この土地の霧から、この土地で生まれた。
影をつくるという仕事
覆下園は、単に暗くすればいいというものではありません。通気性と温度のバランスが不可欠です。
伝統的な「本ず」の覆下園は、丸太と竹で枠を組み、よしずを掛け、その上に藁を敷く。低温・多湿を保ち、新芽をゆっくり育てるための技法です。現代では化学繊維を2段式に張る手法もありますが、目的は同じ——光を抑えながら、熱をこもらせない。
農家は、光と空気を繊細にコントロールしています。影をつくるというのは、それだけで一つの技術なのです。
生きた景観としての八百年
和束の茶作りは、鎌倉時代に始まりました。栃尾の明恵上人から海住山寺の慈心上人へ種子が渡り、鷲峰山麓での栽培が始まったと伝えられています。
江戸時代には皇室領となり、京都御所へ茶を納めました。宇治田原で煎茶製法が生まれる1738年より前から、和束には茶の販売記録が残っています。
しかし、この町の茶畑は、保存された過去の遺物ではありません。
山の斜面に等高線状に広がる「山なり茶園」は、八百年前から現代まで、農家が日々手入れを続けることで維持されている。生きた景観(Living Landscape)です。
風景そのものが、今も続いている仕事の証拠なのです。
粉になる前に、すでに
世界中で愛される「Matcha」。しかし、粉末としての姿は氷山の一角に過ぎません。
その下には、揉まずに仕立てられたてん茶があり、その下には影をつくる覆下園があり、さらにその下には、八百年の霧と斜面と寒暖差がある。
抹茶の真の価値は、石臼で挽かれた瞬間に生まれるのではありません。粉になる前の「山と霧」に宿っている。
MIOKAの茶葉がすべてこの土地のものであるのは、そういう理由です。
和束町についてはORIGIN 和束町へ。覆下栽培と抹茶の関係は#T002|抹茶とはで詳しく。
宇治茶の名を、
その土と霧で支え続ける町。
Fragrance Beyond Time and Borders.



